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2012年09月26日

「<生きる意味>を求めて/V・E・フランクル」を読み終わって



やっとこの本を読み終わることができました。

私は、「夜と霧 新版」、「それでも人生にイエスと言う」そして「フランクル心理学入門―どんな時も人生には意味がある」を読んでからこの「<生きる意味>を求めて」を読みました。

この本の感想を言う前に、私がフランクルに出会った経緯を書いてみます。

私は昔から植物が好きなこともあって、生物から森林生態学を専攻していました。
大学院もあわせて6年間、環境学、林業、森林学を学んできたのですが・・・
フランクルも言うとおり、生物学を学んだ人間には1つ、人生哲学として以下の刷り込みが行われやすく、私も以下の考えに染まっていました。

それは
「生物は種の保存を最大の目的としている」
です。

この考えには非常に苦しみました。
今まで学んできたことのほとんどが、いかに植物はその生存競争に生きぬくか
ほぼそれだったのです。

ですから、人間も種の保存を最大の目的としている、と信じざるをえませんでした。
しかし、その反面、私は性的な行為を比較的忌避していました。
今でも、キャバクラ、風俗、ヘルスと言われるお店に行ったことはありません。

巷に跋扈する性的な行為と、生物の生存本能。
恋愛もせず、ほとんどひとりでいる日々。

何日もかけて、苦しみながら生きる意味について考え直したことも何度もあります。
しかし、そのたびに出てくる答えはやはり「生物は種の保存を最大の目的としている」でした。

そして、そんな考えの中・・・東北大震災がありました。

私は自分でいうのもなんですが、感受性は人一倍強い方です。
私自身に震災の被害はほとんどありませんでしたが、
震災で亡くなった方々を思い、とにかく苦しかったことを覚えています。

震災で亡くなった方々の人生とは一体何だったのでしょうか?

いつか自然災害で逆らうことができず命が奪われるとしたら、
一体何のために生きているのでしょうか?

余震のたびに、不安になりました。
このまま意味もなく死ぬことが嫌でした。
しかし何をしていいのかもわかりません。

震災で死んだ方々の可能性を考えてはひとり泣いていました。
何故あなた方は死なないといけなかったでしょうか?

椎間板ヘルニア持ちの体力がまったくない私が東北に出向いても仕方がない。
そう考え、ただ1万円を寄付するだけでした。

私が悲しかったのは、亡くなった方よりも誰かを亡くした方を思ってでした。
何故あなた方は苦しまないといけないのでしょうか?

そんな苦しみの中読み始めたのが「それでも人生にイエスと言う」でした。

なんて力強い題名なのでしょうか・・・。
私は理系で、無神論者で、ロジックを最大限重視する堅物です。
こういう本は苦手ですが、その頃哲学の勉強をはじめたこともあり、哲学書として読み始めました。

そして、この本でまさにコペルニクス的転回としか言えない衝撃を受けました。
それは会社の帰り、電車の中で読んでいたタイミングだったことを覚えています。

そこにはこう書かれていました。
「苦しみにも意味がある」と。

そこから、私はフランクルを哲学の師と決め、フランクルの本をいろいろと読むことに決めました。
ここでやっと、本の感想に入ります。

感銘を受けた点が何個もあり、30以上の付箋がついてしまいましたが、
この本、というか、フランクルの持つ哲学の素晴らしさがもっとも込められていると
私が感じるのはP.180〜181の特にこの2ページだと思います。

これを紹介して、感想としたいと思います。
ほんとに、美しいともいえる哲学です。

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(はかなさと、死すべき運命)
  ※フランクルは"過去は永遠の現実として残る"と説いている

 すべてがつかの間のはかないものだというのは本当である。
すべてのもの、そしてすべての人間、私たちの子ども、あるいは子どもの誕生に結びつく愛や偉大な思考も、それらはすべて、つかの間のはかないもの。
人間の一生はたかだか七十年か八十年。
良い人生であれば、苦労するだけの値打ちはあったと思えるだろう。
また、思考が続くのはおそらく七秒ぐらいのもの。
すぐれた思考ならば真実を含んでいるだろう。
しかし、偉大な思考でさえも、子どもや愛と同じく、つかの間のはかないものである。
それらはすべて、つかの間のもの。
すべてのものが、はかないのである。

 ところが一方では、すべては永遠である。
いや、それ以上である。
すべてはひとりでに永遠になるのである。
私たちはそれについて何もしなくてよい。
私たちがいったん何かを成し遂げれば、後は永遠が世話をしてくれる。
ただし、「何をなすか」「何を過去の一部にするか」「何を永遠になるようにするか」―――それらを選択してきたことについての責任は、私たちがとらなければならないが。

 すべては永遠の記録として書き込まれる。
私たちの人生のすべて、創りだした作品、成し遂げた行為、出会いと経験、愛と苦悩。
これらすべては永遠の記憶に刻まれ、残されるのである。
世界は、偉大な実存主義のカール・ヤスパールが言うような、私たちが解読しなければならない暗号で書かれた原稿なのではない。
そうではなく、世界はむしろ、私たちによって書き込まれ、私たちによって創られていく記録なのである。

 人生は、私たちに問いを投げかけてくる。
それゆえ、この記録はドラマチックである。
私たちは、人生の方から問われているのであり、それに答えていかなければならない。
言わば、「人生とは、生涯にわたる問いと答えの繰り返し」である。
そして、答えに関しては、生涯をかけて答えていくことだけが可能なのだ、と何度でも言っておこう。
このようにして人生に「応えていく」ことこそ、自分の人生に対して「責任を持つ」ということなのである。

 永遠の記録は失われることがない。
これは慰めであり、希望である。
しかし同時に、修正することもできない。
これは戒めであり、暗示である。
過去からは何も取り除くことができないからこそ、どのような可能性を選択し、過去に保存するのかは、私たち自身にかかっているのである。
「修正することができない」というのは、「私たちに課せられた、この責任の重さを思い出しなさい」という暗示なのである。

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どのような過去を残していくか、決めていくのは自分自身です。
自分自身に責任があります。
だからこそ、自分の責任で、人生はどのようにもでき、またどのようにも積み上げていけるのです。

他人がどうとかは、関係ありません。
自分の責任で、自分が誇れる人生を記録していきましょう。
posted by hinata_hisa at 23:32 | 東京 ☀ | Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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