2016年10月23日

自分を捨てるとは

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久しぶりに12時間寝ることができたのは、きっとやらないといけないと思っていたことすべてを
投げ出してしまおうかという、逆の覚悟ができたからなのかもしれない。

断捨離。

何かを捨てるということ。

捨てる対象が自分の個性の場合、どうやって、自分と向き合って今後生きていけばいいのだろうか。

ありていに言えば、世間的に認められることはないであろう趣味を持っているとして。
それを、続けるか続けないか、だけの話なのである。

1:自分の個性を譲らない、他人になんと言われようが貫く
2:ギリギリ譲歩できるまで世間一般の常識を受け入れるが、人目につかないところで楽しむ
3:全てを受け入れ、常識に適応し、個性を捨てる。しかし納得していない
4:全てを受け入れ、常識に適応し、個性を捨てる。納得している

パターンはきっとこの4つになるのだと思う。

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革ジャンとシルバーアクセサリーという組み合わせがあるとしよう。
刺青が入っていたら、猶更世間的には受け入れられないだろう。
さて、その趣味が、どうしても、何十年も好きで貫いているとして。

あなたに、好きな人ができたり。家庭を持つタイミングがきたり。
そういう、相手の存在を否が応でも認識しないといけないときに。
この、1-4の中で、あなたは何を選ぶのか?

相手がありのままを受け入れてくれるなんてことはきっとないだろう。
それはしょうがない。
つまり1を選んだ時点で、離別である。
さて、結局は優先順位の話になるだけだが。

2は折衷案である。話し合えるということだ。
しかし、問題は3,4だろう。
3はきっと、強烈につらい。日常に支障が出るレベルで辛い。
4はきっと、もうその人ではない。その人はその人を捨ててしまったのだ。個性を捨てたその人はきっともうその人ではなくなり、別の人になっている。生まれ変わったのだ。

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あなたは何を選ぶだろう。1,2,3,4どれか。
思っているより世間の目は強大である。1を選ぶのは至難である。
2は最もマシかもしれないが、中途半端である。
3は最も辛く、4にあこがれを抱く。
しかし4はもはや、それまでのものとは別次元である。

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最初から世間に受け入れられる趣味が自分の趣味ならよかったのに。
と、思うかもしれない。

そうなのだ。
多様性を受け入れるふりをしながら、日本という国は結局最後は社会的常識を押し付け、それに乗っ取って処理するわけである。
表と裏がある。

何が言いたいのかというと。
そんな社会通念は年を経るごとに強烈に肩にのしかかってくる。
重く。
それに耐えられなくなった時、人は一部の趣味を切り出して処分する。

なぜ人は過去の思い出を処分するときに気持ちが凹むのだろうか。
二度とつけないと決めている指輪なら捨ててしまえばいいのになぜしまっておくのか。

断捨離とは、モノを捨てる行為ではない。
断捨離とは、自分が持っているモノに対する拘りを捨てれるのかという、自分との闘いである。
心を捨てる行為は、楽になる反面・・・
何かが抜け落ちたかのように、空っぽになる危険性もある。

自分を断捨離しすぎて、自分を見失ってはいけないが。
しかしそこまで求めるのが、世間なのだろうと、稀に思う。
世間の目は。ただひたすらに。強大で怖い。

これは日本人で、日本の文化を背負っている人にしかわからないかもしれないが。
言葉で言い表せない。何かが。おぶさってくる。
posted by hinata_hisa at 23:43 | 東京 ☀ | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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